2014年06月25日

愛するということ

真実の愛を知るには まだまだ遠い道のりがあると思います。

これは人類全体にもいえることでしょう。



私が生きている中で 今の時点で分かったことは

愛は他から得るものではない ということです。

子供の時期に 両親の愛を得られなかったと感じる方

得られたとしても その愛が条件付きであった方

例えば・・・・親の言うことを素直にきけば 愛がもらえた。

       成績が上がった時だけ 愛をもらった。

       病気になった時だけ 愛をもらえた。
 

などでしょうか。それは 愛情不足に感じることもあると思います。

条件付きの偏った愛は 子供(自分)を偏った方向に進ませる場合があります。

  ・他人から愛を得るために 誰かに執着(依存)してしまう

  ・誰かに認めらたいために 自分をとことん追い込んで何かを得ようとする
   人よりも自分が上にならなければならないと思っている

  ・誰かに構ってもらいたくて(心配してもらいたくて) 
   無意識に病気のままでいたいと思う。または病気と思い込む。



私が知っている範囲では こんな感じでした。これは私のこれまでの人間観察から
気付いたことです。

私は 真ん中の 誰かに認められたいという欲求がかなり強かったです。

成績が優秀であれば 褒めてくれるし 優しくしてもらったからです。

だから必死に勉強してました。ある時点まで・・・アセアセ




実は

どんなに 愛が欲しくても 愛が欲しいと思う限り 愛は得られないのですオドロキ



愛は自分自身そのものなんです。

でも 地球に転生してくるとき すっかり全てを忘れてきます。



あなたが 愛が欲しい と思うと 他人はそれを映し出してくれます。

愛を求めている状態 愛に飢えている状態 を自分に見せてくれます。

そうです!

いくら自分以外の誰かに愛を求めても 無理ってことなんです。



愛が欲しければ 自分が誰かを愛すればよい などと本に書いてあったりします。

もしも偏った愛しかしらない場合は 

偏った愛し方 しかできないかもしれませんね・・・。


無条件の愛といえば・・・我が子 ですねハート

それでも心に愛の渇望感があるならば

それは 自分自身を愛してないからです。


自分は他人よりも劣っている

自分は生きてる価値がない

自分にはなんの力も才能もない

自分の顔も体もすべてが嫌い

自己卑下 自己嫌悪 自己憐憫


このように感じているならば 人を愛するのは難しいでしょう。

自分が自分を認めていなのですから たとえ誰かに愛されても

  いつか捨てられるかも と不安になるでしょう

  本当に私を愛しているのだろうか と疑うでしょう

  この人ではないかもしれない の繰り返し

になるかもしれませんね。


自分を愛することは 簡単なようで実は難しい と思いがちですが

実は 自分のことは 自分がなんとかしてくれるんです。

自分で自分を マインドコントロール するんです。


意識をとにかく自分に向ければいいんです。自己愛・・・ナルシスト?

そう言われても大丈夫。ナルシストになってください。


まずは・・・

鏡を見てください。

そこに映る自分をしばらく見てください。(見たくないかもしれませんが我慢)

「ありがとう ごめんなさい」と言ってください。

そして にこっニコニコ と微笑んでください。

毎日何度でも。



ありがとう と ごめんなさい は自分の波動を上げるアップ言葉です。



そしてもう一つ お風呂で体を洗うとき

「ありがとう」っていいながら 洗ってください。



とりあえずは・・・一ヶ月続けてみてください。


変わりますピカピカ





















 















    



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